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ブドワール 秘密の小部屋の
アクセサリーには、
それぞれの作品に物語が綴られています。
色に名前や物語があるのと同じように
作品にも名前があり、物語があります。
2012年、活動をはじめた当初はまだ、
イメージした物語を印刷して
カードにしたものを添えていました。
ずっと頭の中にあったのは
物語を表現するカードは
「もっと繊細で、クラシカルで、のびのびとしたイメージ。
例えば筆記体で綴られているような…」
元々手書きが好きだった私が
出会ったのが、モダンカリグラフィーでした。
画像は準備中の作品の物語のカードたち。
1枚ずつカリグラフィーペンで
手書きしています。
こうして作品に添えるカードの文字を
筆記体で書いたり発信活動をするうち、
ありがたいことに
ワークショップ開催のお誘いをいただいたり
手書きを通じたお仕事の機会が増えていきました。
こんなにも表現をする喜びを感じているのに、
自分の中でしっくりとくる
「自分のやっていることを伝えきれていない違和感」があった私は
自分の活動を一言で表すことが
難しいと感じていました。
今思うと、その時々で自分のモードを切り替えるように、
「別々の顔」を持っている感覚だったのかもしれません。
そんな感覚なら当然、伝えきれない部分は出てきてしまうもの。
「天然石とインク、扱っているものが違う。別の顔になるのは当然のこと?」
「そもそも一言にすることは必要じゃないかも?」
「それなのにどこか似た感覚でときめくのは、なぜ?」
もう、どれだけ前からかわからないくらい
この違和感についてぐるぐると考えて続けていました。
「別のものなのに、どこか似た感覚」
これが「私の活動を表す一つの言葉があるはず」と
信じる理由であり、
違和感の正体が隠れているような気がする理由です。
ずっと感じていて、無視できないほどに
自分の中で大きな存在感をもっている感覚なのです。
何が似ているのだろうか?
共通しているのは「名前」や「物語」があること。
それって、目には見えない
想いや想像から生まれたものでもある。
【私が大切にしたいのは、
目には見えないけれど、想いや想像があるからこそ生まれた
「物語」を目に見える形にすること。
人間だからできる、この美しい行為で心を喜ばせること。】
【自分の心を大切にすることの喜びが
あなたの中にもあるということを知ってもらうこと。】
「そう、これ!」
これです。
長くなりましたが、これでも頑張って短くまとめたほう。
まとめた、とは言っておきながらも、
共通点を理解しただけに過ぎない。
そう、まだまだ一言で表現できていません。
文章のはじめに、
『色に名前や物語があるのと同じように
作品にも名前があり、物語がある』
と書きました。
そこで、
手書きの活動とアクセサリーの活動、
どちらをしていても
私にとっては「物語を届ける」ことに
変わりないのだ、ということに気付きました。
ここまで続けていく中でも、その感覚は理解できていました。
でも、
まだ、
しっくりきていない。
私が美しいと思っていた
結晶の正体は、
やっぱり物語と共にありました。
突然ですが、
私は、天然石に伝説や物語があることを
「人の想いが結晶となったもの」
のように感じています。
(ちょっと何言ってるかわからない、と思うかもしれませんが
これは私個人の感覚のお話ですので、あしからず)
本当は結晶が生まれた方が先なのは
もちろん理解しています。
では、なぜそう感じるのかというと、
星座に伝説が、
宝石に物語があるように
「石の美しさが、人々に伝説や物語を想像させてくれた」
という古来からの事実にあります。
何もないはずの場所から
対象を美しいと感じ、その心を大切にすることで生まれる想い。
この行為そのものが私にとって尊く、
「人の想いというのは純度が高く、透明で、
キラキラとしていて、まるで輝く結晶のようだ」
と感じているというのが理由です。
そのうちに「天然石は結晶の集まりで、透明」
というのはもちろんのこと、
「物語の気配を感じる」というのも
好きな理由のひとつなのだと、繋がりを発見できました。
では、一つの言葉を見つけるために
ここからさらに深掘りしていこうと思います。
ここまでで分かった、私が大切にしていることは3つ。
1つ目は
『結晶に、物語の気配』。
石(結晶)だけでなく、インクなどに対しても感じていることです。
私はそのモノや対象を
「人の想いが結晶となったもの」として見ていることで、
そこに物語の気配を感じています。
2つ目は
『物語に、結晶の気配』。
人に対して感じていることです。
私は人の心が生む「想いが物語を生み出すという行為」に、
純粋な結晶のような気配を感じています。
3つ目は
この2つの感覚は『モノ、人、どちらかだけで生まれるものではない』
ということ。
「そうそう!」と
何だか核心に近づいているようなドキドキを感じながらも
はやる気持ちを落ち着け、ゆっくりと考えを進めます。
これまで、私が石やインクの透明感の向こう側で見ていたもの。
それは、モノと人の想いの間で生まれた気配が
純度を高めて形になった、
【 物語の結晶 】。
これが、私が美しいと思っていた結晶の正体。
それぞれを分かつ違和感を取り除いた先にあったものです。
ふぅ。ようやく一言にまとまった?と思ったのも束の間、
そこからさらに考えられるのは、きっと私の特技。
「それで、私はこれをどうしているんだっけ?」
ここからもう一度、
シンプルに一言で表現することにチャレンジ。
モノと人の想いの間に生まれる
「 物語の結晶 」。
これが私が美しいと思っていた、結晶の正体。
文字と天然石、
それぞれを分かつ違和感を取り除いた先にあったもの。
というお話をしました。
ここから「 物語の結晶 」に触れている
私の活動を表す言葉を
導きだしたいと思います。
今の私の「手書きの活動」と「アクセサリーの制作」に
共通しているのは
「 物語の結晶 」に出会っているから
表現できているということ。
ですが結晶との出会いは、
待っているだけでは訪れません。
探しに行ったり、巡り合ったり。
自分で会いに行き、感じることではじめて見つかるものです。
”採集 さいしゅう
おもに自然物(動物・植物・化石・鉱物など)を採り集めること。
切手など人工のものを集めるのは、通常、採集とはいわず、収集という。
ことばを談話や文献のなかから拾い集めることを採集ということもある。”
日本大百科全書(ニッポニカ) より一部引用
鉱物というのは、
どこも同じ形(結晶の構造や化学組成)を持っている、
天然の個体のこと。
天然石の色や物語・言葉から
アクセサリーを制作したり、
モノとの間に想いが生まれるまでの経緯を文献から調べて、
それをひとつのスタイリングとして
文字や絵も入れて表現したり。
『ことばを集めることも採集ということもある』というのなら
きっと私のしていることは「採集」なのだと確信しました。
こうして
「 物語の結晶 」を採り集める人、という意味を持った
【 物語採集家 】という言葉に辿り着くことができました。
違う事をしているような感覚だったところから、
「それぞれが、繋がった!」と
バラバラに感じていた自分の中の違和感が、
ようやく柔らかくなっていくのを感じました。
これはきっと、石を眺めながら、
文字の時間を長く過ごしながら、
迷いもあったからこそ、
核心にたどりつけた言葉だと思っています。
といっても、
これまでと大きく何か変わる
というわけではないのですが…
【 物語採集家 】として
モノと人の想いから生まれる、美しい物語の結晶を
これからも様々な形でお届けしたいと考えています。
いつも見てくださる方へ、
きちんとお伝えしたかったので
こうして文章にまとめました。
まさかの三部作となった長文…
ここまで読んでくださり、
本当にありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願いします!
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【引用】
採集:さいしゅう 日本大百科全書(ニッポニカ) より
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